この記事は前のブログ2015年11/30日のお引越し記事をリニューアルしました。
かつて河内長野の三日市にあった、油屋旅館のことについて調べてみました。錦渓温泉(三日市温泉)として知られる油屋旅館は、三日市村大字三日市の油屋で高野山御用宿として近世以来に栄えた旅館で、江戸時代に開業したということです。
おそらく伝承に文永・弘安(1264~1278年)のころ、旅の僧が小塩の里に来たときに老僧が泉水を指さして立ち去り、試しに足を浸すと疲れが癒されたことから、村人が湯治所を開設し「小塩の野風呂」と呼んだとされています。今はこの石碑を残すのみで何も残ってないらしいです。これは当時使われていた油屋旅館のパンフレットです。在りし日の、油屋旅館の浴槽です。ここで、なぜこの旅館が油屋旅館と呼ばれてたかと言うと遠い昔三日市市の水を屋敷内にひいて水車を回し、
油絞りを業としていたらしい。その名残でその水車が油屋の庭園に風情を加え名物になっていたことから油屋旅館と呼ばれるようになったらしいです。錦渓温泉は1975年(昭和50年)に廃業したようです。色々調べた結果、油屋の旅館跡が分かりました。
そして、偶然にも油屋旅館の経営者のご家族の方と
お話することができました。お話の内容を以下にまとめます。
●当時は油屋で使用される水車が庭園内にあってそれが宿の名物だったこと。
●油屋のお湯は無色透明のお湯で、湯の華がいっぱいあったことを記憶している。
●源泉は近くの川から私有水路を使って宿まで引かれていたこと。
●当時源泉のあった場所までの行き方。
この方に源泉を見に行かせてもらうことを告げ、
日が暮れないうちに源泉の場所を見学させてもらうことにしました。 有りました!ここが油屋旅館の源泉が有った場所です。川からポンプアップしてこの水槽に溜めて、油屋旅館まで私有水路を使って源泉を引いていたそうです。
私有水路って贅沢な話やなぁって思いました。
※上の写真は2019年9月4年前は井戸の中を覗いてみると、茶色い源泉が溜まってましたが、今は蓋は開かないよう固定されていました。
穴から覗いてみましたが今は液体らしいものは何もありませんでした。
全画面にしてご覧ください。写真や小さい動画だと結構な湯量が出ているのですが
それが分かりにくいので。
こちらは4年前の様子です。こちらの写真は2019年9月撮影。まだ出てますね!
錦渓温泉油屋旅館の源泉は今もまだ湧いました。
当時の成分表を見せてもらったので以下に書きますと・・・
湧出量、毎分63ℓ 温度17度
無色透明、微弱酸性、赤褐色の沈殿、鉄味及び酸味を有す。
ph6.3
一般の皆さまはなかなか関心が持てなかったかも知れませんが、
忘れ去られようとしている廃業旅館、でもその源泉が今もここに湧き続けていることを
記事にして残しておきたかったんです。
錦渓温泉はおもろい温泉ではないかも知れない・・・
でも、三日市市の水を屋敷内にひいて水車を回し、油絞りを業としてたことを名物にしていた温泉でした。私はおもろいと思いました。